年代 |
邦暦 |
筒賀村のできごと |
1889 |
明治22 |
- 全国に市町村制が施行され、筒賀村が発足 初代村長には池田龍太郎さん(49歳)が就任
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1890 |
明治23 |
- 村有林創設 共有山使用料の件、常設委員の件の条例を制定
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1900 |
明治33 |
- 筒賀尋常高等小学校開校(尋常科・4年231名、高等科4年121名)
- 当時、西部には加計にしか高等科がないため、戸河内や湯来からの通学者もいた
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1902 |
明治35 |
- 国有林下戻訴訟(御堂義雄さん40歳)の判決が勝訴となった
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1903 |
明治36 |
- 吉和~上殿線道路の改修が完成した(旧大竹加計線、現国道186号線)
- 車力や馬車が増加し、沿線には茶屋や荷問屋もできた
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1904 |
明治37 |
- 高等科の卒業生が卒業記念樹を行う(猪股山)
- また、卒業記念写真を初めて撮影した
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1906 |
明治39 |
- 田植の整条植が入ったので、高等科3・4年が見学した
- 高等科4年生の男子の希望者が3泊4日の初めての修学旅行に参加した(都谷~大朝~有田)
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1910 |
明治43 |
- 筒賀郵便局開設(上筒賀・梶原)電報は湯来。戸河内へも配達した
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1913 |
大正2 |
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1914 |
大正3 |
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1915 |
大正4 |
- 筒賀尋常高等小学校校舎が新築落成した
- 来賓として県知事が出席し、伝説的な祝辞を述べた
- 轟橋、向光石橋が鉄線つり橋として完成した
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1917 |
大正6 |
- 筒賀橋(田之尻)が鉄線つり橋として完成した
- 筒賀村立実業補修学校が設立された
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1918 |
大正7 |
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1919 |
大正8 |
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1920 |
大正9 |
- 筒賀郵便局が電信電話業務を開始した(大正2年に上筒賀・市へ移転している)
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1923 |
大正12 |
- 電灯が初めてついた(それまでのように、油を注ごうとしたり、火を吹き消すのに困った)
- 坂原の大火で17棟が焼失した(大正10年には井仁で11戸、大正13年には市三谷で15戸焼失)
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1925 |
大正14 |
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1926 |
大正15 |
- 筒賀村で初めてラジオ放送を聴取した(大型ラッパのラジオを羽織袴姿で聴いた)
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1931 |
昭和6 |
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1932 |
昭和7 |
- 公園地を現在の広さに拡張した
- この頃、世の不景気が一層ひどくなり、失業者対策として、湯来へ通じる道路の改良工事が行われた
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1936 |
昭和11 |
- 現在の村役場庁舎を新築、電話を敷設して筒賀村第1番 となる
- 鉄道工事のため、田ノ尻小学校が現在の場所に移転し、新築落成した
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1939 |
昭和14 |
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1941 |
昭和16 |
- 義務教育が8年間となり、筒賀尋常高等小学校が筒賀国民学校となった(初等科6年・高等科2年)
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1942 |
昭和17 |
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1943 |
昭和18 |
- 産業組合が農業会となった
- 国民学校の夏休みが廃止された
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1944 |
昭和19 |
- 筒賀村民号と名づけた飛行機を献納した
- 吉ケ瀬発電所が完成した
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1945 |
昭和20 |
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1947 |
昭和22 |
- 筒賀中学校が設立された
- 筒賀国民学校が筒賀小学校となる
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1948 |
昭和23 |
- 筒賀トンネル(昭和18年起工)が完成した(総工費24万円)
- 筒賀村農業協同組合が設立された
- 戦後初の村民体育大会が行われた
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1950 |
昭和25 |
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1951 |
昭和26 |
- ルース台風とキジア台風(前年10月)の2つの台風の村内被害額は約3億円に達した
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1952 |
昭和27 |
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1953 |
昭和28 |
- 筒賀中学校校舎が新築落成した(県内外から視察者が多数来村)
- 田ノ尻小学校・坂原小学校が改築落成した
- 大えい和上150回忌大法要が行われた
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1955 |
昭和30 |
- 馬越で同和問題が起こり、全村で同和研修会が開始された
- 筒賀駅伝大会を始めた(のちに郡中学校選手権大会として今日に至る)
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1956 |
昭和31 |
- 国鉄本線が加計まで開通し、筒賀駅(現・田ノ尻駅)が開設された
- 学校給食を開始した(近隣地方では初、法律は昭和29年に制定)
- 村内でテレビの視聴が始まる
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1957 |
昭和32 |
- 合併しない村として確定した(町村合併促進法は昭和28年に施行される)
- 井仁小学校が新築落成した
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1958 |
昭和33 |
- 上水道が完成し、村内全戸へ給水を開始した(町村合併しない記念事業)
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1959 |
昭和34 |
- 村有林創設70周年記念式ならびに記念事業を行う(「村有林の歴史」を発刊)
- 第1次村有林経営計画が発足する(昭和32年改正の森林法に基づく)
- この頃からプロパンガスが普及し、木炭の生産が急減することになった
- 「広報つつが」が創刊された
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1960 |
昭和35 |
- 井仁トンネル(昭和32年着工)が完成した(延長181m・総工費900万円)
- この年、林業従事者428名
- 市田邦彦さんがブラジルへ移住 以後13年目・30年目に帰国する
- 老人クラブ「同心会」が発足した
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1961 |
昭和36 |
- 合併しない独立村としての建設計画ができた
- 筒賀郵便局が新築落成(上筒賀・市)
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1962 |
昭和37 |
- 村有林従事者が常傭となった
- 筒賀橋(田ノ尻)完成(延長109m・総工費2,700万円)
- 砂ケ瀬で大火、5戸・15棟焼失(損害推定額1,400万円)
- 村の米の生産量が、初めて消費量を上まわった
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1963 |
昭和38 |
- いわゆる38豪雪(12月31日から2月9日までの40日間で晴天はわずか3日間)で、家屋の全・半壊209戸)とくに西中国山地での過疎化が始まった
- 有線放送電話が完成した(総工費1,746万円)
- 村有林の成長量実態調査が行われた
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1964 |
昭和39 |
- 第2次村有林経営計画を策定 その中に特別経営林が設けられた
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1965 |
昭和40 |
- 筒賀小学校新築落成、各地からの視察者多数来村(教育文化センター構想の一環として)
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1966 |
昭和41 |
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1967 |
昭和42 |
- 中央公民館、中央プール、小学校体育館が落成
- 山県郡西部衛生組合・し尿処理場が完成した
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1968 |
昭和43 |
- 成人者88名で戦前戦後で村の最高記録となった
- 坂原小学校を廃校 中央公民館坂原分館として再出発した
- 明治100年記念式典を行い記念植樹をした(参列者1,300名)
- 村道が初めて舗装された(市三谷線)
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1969 |
昭和44 |
- 国鉄本郷線が三段峡まで開通した(『汽笛一声新橋を…』から104年目に、本村で列車が走るようになった)
- 数舟~井仁~田ノ尻間の道路が県道(上筒賀・筒賀停車場線・11.234m)となる
- 村営火葬場が完成した
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1970 |
昭和45 |
- 田ノ尻小学校を廃校、中央公民館東区分館として再出発した(児童は加計小学校へ委託となる)
- 主要地方道・大竹加計線が国道186号線に昇格した
- 筒賀村森林組合が体制を整備して再出発した
- 水稲の共同育苗施設が稼動を始めた
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1971 |
昭和46 |
- この年から田植え機やハーベスターが使用されはじめた
- 本村独自の敬老年金制度を始めた猪股山で県植樹祭を行い、猪股山の一部に県造林公社の山林を決めた
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1972 |
昭和47 |
- 山県郡西部衛生組合のごみ処理場が完成した
- 7月に47豪雨災害(浸水家屋・床上13戸、床下52戸)
- 西日本各地に大災害が発生、数日間で雨量500mmの地域もあった
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1973 |
昭和48 |
- 特別養護老人ホーム「寿光園」が完成した(殿賀)
- 筒賀保育所が落成した
- 数舟高下線・小原念仏谷線が県道に昇格し、中筒賀下線となった
- 龍頭峡が県自然環境保全地域第1号に指定された
- 国道186号・筒賀バイパスが開通した
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1974 |
昭和49 |
- 砂ケ瀬橋が完成した
- 田中地村長が逝去、村葬が行われた(正六位勲五等双光旭日章が追贈された)
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1975 |
昭和50 |
- 井仁小学校が休校となった
- 戦争中の疎開学童が30年ぶりに来村した
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1976 |
昭和51 |
- 有線放送電話の通話業務が廃止となった(業務期間12年6ヶ月)
- 地籍調査が始まった
- 公社電話がダイヤル式となり加入率100%以上(郵便局の電話交換廃止)
- 大田川の建設省直轄区間が戸河内町明神橋まで延長された
- 筒賀村中国自動車道対策協議会を設置した
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1977 |
昭和52 |
- 中国自動車道対策本部を役場に設置した
- 第1回筒賀村民大運動会が開かれた(優勝:一組、坂原~大井チーム)
- 新轟橋~一ノ瀬橋間が駐車禁止区間となった
- 筒賀小学校前に交通信号機が設置された
- 筒賀小学校が学校給食の実績により文部大臣賞を受けた
- 第1回村有林・植樹祭開催(奥の原山)
- 広報無線局「つつがそんやくば」が開局した
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1978 |
昭和53 |
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1979 |
昭和54 |
- 筒賀小学校に夜間照明施設ができた
- 自動車道の予定地から、規模も埋蔵物も特徴のある古墳が発掘公開された
- 地域学習活動として、田楽の2グループが復活した
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1980 |
昭和55 |
- 村有林事業基金を設定した
- 村有林創設90周年記念事業を行い、県知事も入村して県植樹祭を行った
- 国道186号線の村内改修工事が完了した(工期18年間、総延長11,132m・工費25億円)
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1981 |
昭和56 |
- 向光石橋が完成(総延長93.45m、総工費1億6,500万円)
- 村民福祉センター完成、社会福祉協議会が結成された
- 筒賀郵便局が貯金オンラインサービスを開始した
- 筒賀駐在所が交通安全のクリスマスツリーの飾りつけを始めた
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1982 |
昭和57 |
- 山県西部消防組合が発足した
- 松くい虫が一部侵入し、被害が見られはじめた
- 祇園坊柿の特産地化が始まる
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1983 |
昭和58 |
- 中国自動車道が全線開通、高速道路が東北から九州までつながった
- 村有林の事業収益を、この年から一般会計へ繰り入れることを中止した
- 郡中学校女子ロードレース大会を始めた
- 山県西北部農協共同施設利用組合を設立、4農協の野菜の共同出荷が始まった
- 筒賀村農協が新築落成した
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1984 |
昭和59 |
- 広島県大型観光キャンペーン「SunSunひろしま」への参加を始める
- 防災計画、水防計画を策定した
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1985 |
昭和60 |
- 国際森林年を記念して天上山分収行育林の応募者を募る(応募123口)
- この年の2月に未曽有の雪害、被害額が2億円を越える
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1986 |
昭和61 |
- 広域基幹林道「天上山線」が完成した(幅員5m、総延長15.5km・総工費21億円・工期13年)この後、平成元年に全線の舗装が完成した「交流の森」整備事業が始まった
- 助役が収入役事務を兼務することとなった(県内で4番目の措置)
- 非核平和宣言を決議した
- 坂原神楽団が県の無形民俗文化財に指定された
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1987 |
昭和62 |
- 筒賀中学校校舎の建築が完了した(翌年4月に落成祝賀式典と祝賀行事)
- 水土保全モデル事業が終わる(総事業費:約30億円)翌年10月に完成記念式典を挙行、今なお国内外からの視察が続いている
- 過疎バス補助が廃止され、町村が代行運転を始めた
- 筒賀駐在所が開設百周年記念式を挙行した
- 井仁地区の集落の全周に4kmの防猪柵を設置した
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1988 |
昭和63 |
- 朝日森林文化賞を受け、受賞当日の新聞を全戸に配布した(モニュメントを建設)
- 7月、集中豪雨のため蛇の谷川で土石流災害が起こった
- 200年ぶりの大災害で加計町では11人の死者が出た
- 中国自動車道・境トンネル内の事故で5人が死亡した(11台の追突事故による)
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1989 |
平成元 |
- 役場事務に電算機を導入した
- 「海と島の博覧会」…(広島市)で、9月23日の「筒賀おもしろデー」大好評
- 主会場の材料は本村産の木材であった
- 祇園坊柿、とち餅が広島県民文化(特産品)百選に選ばれる
- 大えい和上の墓所の修復工事が完成した
- 筒賀小学校に「緑の少年団」を結成した 筒賀中学校では「緑の銀行」を開設した
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1990 |
平成2 |
- 内閣総理大臣賞を受けた(森林の公益的機能を重視した緑化の充実と推進に対して)
- 「ふるさと創生事業」が議決された(3事業)
- そのうち中学生の国外研修旅行は新聞で大きく報道された
- 村制施行101周年・村有林創設100周年記念事業が、通年にわたって実施される
- 森林館が龍頭峡の入口に完成した(来訪者があい次ぎ大好評)
- モデル撮影会と写真コンテストを開催(アマチュアカメラマン約150人が参加)
- 「悠久の森」の指定を村議会で議決した(61.85ヘクタール)
- 緑のオーナー(第3次)百年百人百口の募集が大好評で早期に完了した
- 森林シンポジウムを開催(「大田川の自然と木材展」も同時に開催)
- 新筒賀音頭「みんなきんさい きてみんさい」制定
- 村民憲章を制定した
※村の花:「つくししゃくなげ」に決定
※村の木:「銀杏(いちょう)」に決定
- 記念誌「写真で見る100年」発行
- 記念式典(11月10日)実施「村章」・「村旗」の制定
- 夢のタイムカプセルを埋設(30年後の西暦2020年に開きます)
- 広島「筒賀村友会」の再結成
- 芸北4町村の森林組合が合併して「太田川森林組合」が発足
- 林道臼谷線開通、正木井仁線舗装完成
- 中国自動車道の村内全線四車線工事完成
- 村史刊行委員会発足、村史編さんに着手
- 初めての国際交流事業(インドネシア青年22人が村内にホームステイ)
- 青少年海外派遣事業発足
- 第二世紀基金条例制定
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1991 |
平成3 |
- 台風19号森林被害151ヘクタール・6億円「甚大災害」に指定
- 「いきいき・きらきら構想」を策定
- 交流の森ケビン営業開始、夏季・週末は予約でいっぱい
- 筒賀小学校全日本学校環境緑化コンクールで「入選」
- ふるさと創生事業「コミュニティ振興資金」配分により、地域活動活性化・組織再編制が進む
- 役場第2・第4土曜日が閉庁になる
- クマ全村に異常出没
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1992 |
平成4 |
- 「ふれあいプラザ」竣工 村内初のエレベーター設置
- 「ふれあいスポーツ広場」オープン、テニスコート3面、ゲートボールコート4面(人工芝)共有
- 6農協合併、筒賀農協からJA広島安佐筒賀支店に衣がえ
- 台風被害木処理のため林産班を編成
- 収入役を独立設置し役場機構改革を行う
- 交流の森バーベキュー広場、オートキャンプ場、ケビン増設
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1993 |
平成5 |
- 温泉掘削成功(1,500m、アルカリ性単純低温泉26.5℃、毎分462L)
- 台風5号2時間で77mm推定被害14億5千万円
- 役場庁舎改修(村有林被害木を活用)
- 役場業務完全週休2日制スタート
- 指定金融機関制度導入、口座振替納付開始
- 木工陶芸館完成
- 全村下水道整備事業スタート
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1994 |
平成6 |
- つつがライフル射撃場建設
- 第12回アジア競技大会開催(射撃競技会場)
- 高齢者生活福祉センターオープン、健康浴場大好評
- 村営火葬場を東釜鋳谷に移転新築
- 東区コミュニティセンター完成
- 向光石スポーツ公園完成
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1995 |
平成7 |
- 滞在型ふれあい市民農園「ありんこ」オープン(60区画、ケビン5棟、交流館、農機具庫)
- 第三セクター株式会社「筒賀総合サービス」設立、営業開始(名称一般募集)
- 青少年海外派遣団17名が韓国に研修
- ライフル射撃競技ワールドカップ及びひろしま国体リハーサル大会開催
- 筒賀村文化財(史跡4件、美術工芸品3件、名勝2件)を指定
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1996 |
平成8 |
- 第51回国民体育大会ライフル射撃競技開催
- 「グリーンスパつつが」「龍頭ハウス」相次ぎ開業(筒賀温泉、龍頭峡温泉オープン)年間村内入込客数約14万人
- 坂原コミュニティセンター完成
- 大井・布原地区テレビ共同受信施設整備
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1997 |
平成9 |
- 坂原・井仁地区下水道供用開始
- 全国「森林とのふれあい」シンポジウム開催(参加者数約600人)
- 筒賀小学校大規模改修
- 廃止路線代替バスを地元事業者によって運行
- 地域食材供給施設完成、特産品加工生産に取りくむ
- 猪股多目的スポーツ広場完成
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1998 |
平成10 |
- JR西日本が可部-三段峡間をバスに転換したいとの意向表明
- 交通死亡事故ゼロの日3000日達成村民大会
- 田ノ尻、砂ケ瀬地区下水道供用開始、中ノ原・向光石・吉ケ瀬地区個別合併浄化槽設置
- あいさつ運動を全村的に展開する
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1999 |
平成11 |
- 台風18号と集中豪雨で大きな被害約8億円
- 井仁地区「日本棚田百選」に認定(県内唯一)棚田保全事業指定(農林水産省)
- 水質管理センター工事着工
- 「JR可部線存続大行進」等、可部-三段峡間存続を訴える運動が行われる
- 地域振興券を交付
- 村有林事業直営制度廃止
- 「筒賀村史(資料編I)」を刊行
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2000 |
平成12 |
- 小田美嗣村長が逝去、村葬が行われた(正六位勲5等双光旭日章が遺贈された)
- 介護保険制度スタート
- 助役が収入役の事務を兼務することになる
- 中山間地域等直接支払い制度がスタート
- ミネラルウォーター製造販売施設着工
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2003 |
平成15 |
- 村内の11公共施設が光ファイバーで結ばれた(総務省:地域イントラネット基盤施設整備事業)
- 11月 JR可部線廃止(可部駅~三段峡駅)
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2004 |
平成16 |
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