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旧加計町の歴史

ページID:0001277 更新日:2021年8月20日更新 印刷ページ表示

旧加計町の歴史の画像

原始~古代  町内から多少の石器と弥生式土器等が発掘されており、加計地方における人の住居は、紀元前にさかのぼるとと思われます。 また、古墳時代の集落が存在していたことを物語る遺跡として、津浪寺原古墳群、遅越古墳群(町史跡)等が発掘調査されています。
中世~近世  鎌倉時代末期には、栗栖氏が太田郷一帯の現地支配者になったといわれ、その一族が拠ったとされる城跡が町内に数ヶ所残されています。栗栖氏滅亡後、毛利元就が中国路を統一すると、加計地方は毛利氏の重臣宍戸氏の給地になったようです。 江戸時代は、福島氏から浅野氏へと藩政下に入り、現在の町域はもと佐伯郡に属していた穴村のほか、坪野、津浪、加計、下筒賀、下殿河内の旧6ヶ村に分かれていました。
近代~現代  明治22年(1889)市町村制が実施され津浪村と加計村が合併して加計村、穴村と坪野村が合併して安野村、下筒賀村と下殿河内村が合併して殿賀村が誕生しました。加計村は明治31年(1898)に加計町と改称、昭和29年に加計町と殿賀村が対等合併を行い、続いて昭和31年には加計町と安野村が対等合併して、現在に至っています。

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