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平成21年の冬、安芸太田町に移住された本宮炎さんファミリー。
妻の宏美さんとともに陶芸をされ、芳太郎くん(6歳)、花奈ちゃん(5歳)の二人のお子さんと安芸太田町で暮らして3年。本宮さんに移住された時、実際に暮らしてみて感じたことや思いをお話していただきました。
僕は、3年前の12月23日、安芸太田町に越してきました。その日は大雪で、戸河内インターを下りて街灯に照らされた雪を見ながら「大変な所にきた・・・」と「おふくろ弁当」の山賊焼を食べながら呆然としました。
その時「雪、大丈夫ですか?慣れてないだろうからちょっと心配で・・・」と空家バンクの担当職員さんが電話をくれました。「こんなに降るのは珍しいんです。」と言う彼の言葉は、その後、3回過ごした冬のうち2回は大雪の年だったので、真偽のほどは不明ですが(笑)、その心遣いで少し、雪が苦じゃなくなりました。
その田舎が住みやすいかどうかっていうのは、その場所に住む人たちとの人間関係によるんじゃないかと思います。
仕事を辞める人の多くは、職場の人間関係が原因だそうですが、生活の場でもそれは同じことで、結局、その場所に居続けられるかどうかは、人間関係が一番重要ですよね。「住みやすい田舎」は「人間関係を築きやすい田舎」ということもできると思います。
安芸太田町で暮らし始めて、道ですれ違うおばあちゃんに「来てくれてありがとう」と声をかけられたこともあります。「消防団」や「屋形船制作」に誘われたり、「なにしとるの?」と近所の仲良しおばあちゃん達が覗きにきてくれたり、仕事で困っている事を助けてもらったり、僕は少しずつこの地域に受け入れられている事を感じながら今暮らしています。
消防団の屯所でお酒を飲んでいると、地元の先輩たちは「昔はああいう事したな~」と楽しそうに話しをするのですが、移住者である僕には、それがちょっとうらやましく感じます。そんな話が僕にはまだ、できませんから。
去年ぐらいから、この町に少しでも恩返しがしたいと思って、同じ世代の移住者仲間や地元の人たちと地域の「夏祭り」を復活させたり、「町おこし」をキーワードに活動しているんですよ。きっと、こういう事の積み重ねを経て、自分たちが年をとった時に酒を飲みながら「昔はああいう事したな~」と仲間たちと懐かしく振り返えることができるんでしょうね。